私は子育てと学校運営には、興味深い類似点がいくつかある事に気づきました。多種多様な人々のグループが集まる中、日々複雑な仕事が成し遂げられているという事実は、どのくらい学校生活が予測不能であるかを考えると、驚くべき功績です。何が起こるか本当に分かりません。唯一、学校生活で予測できるのは、常に驚かされ続けるという事です。これは子育てと同じです。
校長として私は常に自分をコントロールし、学校で何が起こるか予測しておくべきだと思っています。しかし現実には、この2つの目標のいずれも達成できない事を受け入れなくてはなりません。私は常にベストを尽くしています。しかし様々な文化や人間が交わる組織では、これは現実的ではなく自分自身と折り合いをつける必要があると分かっています。繰り返しますが、これも子育てとよく似ています。私たちは最善を尽くしていますが、その成果はいつも予想外で驚かされます。コントロールできない力が働いて子育てに影響を与えるという事に、親は気づかないといけないのです。想定外で驚かされる事が良い意味での驚きの時もありますし、そうなる事を予測しておけば良いのです。あなたが確実に予測できる事は「人生は予測不能だ」という事です。私たちが向かっている未来も予測不能であるという事です。自分が経験した事をベースに子供たちを導くしかないのです。
不測の事態に対応するには変化に適応できることが必要です。考え方を変えると、世界や周りの人々との接し方も変わります。結局のところ、本当に大切なのは思考パターンの変化です。幸いな事に、ある程度の知性を備えた生き物として、私たちは自分の考え方、世界との関わり方を意識的に変える事ができます。それは、自分たちのためだけでなく、子供達のため、変化する状況に敏感に対応しなければならない自分のためでもあるのです。
ここでシンプルな質問が2つあります。「子供たちにはどんな人になって欲しいのか?」そして「そうなるために、私たちができる事は何か?」です。どのように子供達を目的地に着かせるか、それはもちろん特別な裏技などありません。重要なのは子供との会話です。皆さんも家族で会話をされると思います。しかし、深い会話するのはなかなか大変です。
子供と深い会話をする時の最大の課題の1つが、子供の世界を想定する事です。ここでの本当の問題は、「子供の世界を探る価値が十分ある」と、私たちが感じているかどうかです。子供たちからの質問を真剣に受け止めて、本当の意味で子供たちを会話につなぎとめ、私たちと子供たちお互いの世界を一緒に探り、理解し合おうと努力することが大切なのです。